渋谷の片隅に佇む慰霊碑が語りかけるもの

多くの若者が集う流行の発信地渋谷。駅前から代々木方面に坂を登っていくと、やや落ち着きのあるゆったりしたおしゃれなビル街に少しずつ変わっていく。

やがて広大な代々木公園とNHKが見えてくるが、数多の人々が屯する代々木公園はかつて終戦後に在日米軍宿舎「ワシントン・ハイツ」が建っていたとして、 歴史的意義のある場所である。

さらに遡れば、渋谷公会堂からNHKにかけては戦前、東京陸軍刑務所があり、かの2.26事件に与した青年将校が処刑された場所として、現在その一隅にひっそりと慰霊碑が建っている。

まもなく平成30年を迎えようとしており、2.26事件などを含め昭和の時代は歴史の彼方に遠ざかりつつあるが、現在においてもテロや戦争の脅威はおさまることなく、またそうした武力行使に至るまでのさまざまな経緯についても、平和な国日本に済む私達は決して無関心でいてはならないと思う。

東日本大震災のような自然災害で安定した生活が崩れる危険も常にあるが、2.26事件の際は東京の主要な政治機関をはじめ、帝都一帯を陸軍の青年将校がクーデターにより制圧。近隣住民は避難を余儀なくされ、さらに戒厳令が敷かれ人々のプライバシーも奪われた。

おそらく今生きる若い人たちに、そういった状況は限りなく理解しがたいものであろう。しかし事件後間をおかず処刑された青年将校たちの心には、娘を身売りせねばならないほど窮乏した当時の農民の現状を天皇に知ってほしいという願いがあり、しかし昭和天皇は戦後までその現状をほとんど知らなかったという。

現在、そうした青年将校が格好良いという動機で、慰霊碑を訪れる若い女性もいるようだが、青年将校たちの真情や当時の窮迫した状況、そしてそれはまたいつ身近に起こるかもしれないということを、私達は決して忘れてはなるまい。

 

 

駅近くの由緒ある太子堂八幡神社

お洒落な街として若者に人気の三軒茶屋界隈は、商店街を少し離れると落ち着いた風情の住宅街が立ち並び、その所々に歴史ある建造物が多く残るのが特色。

三軒茶屋駅から一つ隣の西太子堂駅を下車して北へ進むと、やがて大きな鳥居をがそびえ立つ太子堂八幡神社が見えてくる。

太子堂八幡神社は、安土桃山時代の創建で、現在の社殿は昭和初期の建築という由緒ある建物。太子堂界隈の元締めの神社であり、秋祭りなどには数多くの露店が立ち並び賑わいを見せる。

境内には昨今あまり見かけなくなった広々とした公園があり、周囲にこんもりと茂った木々に程よく陽射しが遮られて落ち着いた空間を生み出している。

公園内には、これも最近見かけなくなったブランコやジャングルジムがあり、普段学校帰りの子供で賑わうほか、大人にとっても子供心に還れる時間を過ごせる場所となっている。

参拝の際頂くことの出来る御朱印は、月ごとに異なる、カラフルでなんとも可愛らしいもの。また境内でうさぎも飼われていて、訪れる人の心を和やかなものにさせてくれる。

2017年の暮れも押し迫ったこの時期、筆者がふと訪れると、古くなった様々の日用品を焚き火にくべて炊き上げ供養をやっていた。

普段見かけない光景だけにしばらく見入ってしまったが、周りにものが溢れ、いらなくなればすぐに捨ててしまう風潮のはびこる現在、使い古した日用品に感謝を込めて供養する人々の姿に、失われた日本の心を垣間見た気がした。

 

井伊家と招き猫ゆかりの地豪徳寺

2両編成の可愛い外観で地元の人々に親しまれる東急世田谷線。その停車駅である山下駅は、 首都圏の主要路線である、小田急線の豪徳寺駅に連結し、 人の出入りも多い。

その豪徳寺駅の脇に佇むのが、 駅名の由来となった寺院、豪徳寺である。

安政の大獄を断行し、 桜田門外の変で犠牲となった井伊直弼はじめ、井伊家代々の墓がある寺として有名な豪徳寺の近隣には、奇しくも安政の大獄で処刑された吉田松陰を祀る松陰神社がある。

中世以来の古い歴史を持つが、江戸時代に井伊家の菩提寺となったとされる豪徳寺に足を踏み入れると、広い境内の中、藤や紅葉が美しい風情を見せてくれる。また一方で、豪徳寺は招き猫発祥の地ともいわれ、 由緒ある境内に数多の招き猫が並ぶ ミスマッチな面白さに惹かれて訪れる観光客も多いとか。

彦根藩2代藩主井伊直孝が、鷹狩りの帰りに豪雨に遭い、豪徳寺前の大木で雨宿りしていたところ、寺の境内から白い猫が手招きするようなしぐさを見せたので、猫についていき大木を離れたすぐ後、轟音とともに大木に雷が落ち、白い猫に命を救われたと感じた直孝が、感謝の意をこめて寺の伽藍などを整備し、その後豪徳寺は井伊家の菩提寺となり、また境内に招き猫を奉納するようにもなったという。

お洒落な街として知られる世田谷、三軒茶屋界隈だが、入り組んだ街中に足を踏み入れれば、そこかしこに神社や寺社が点在し、また近辺にはのんびりと和やかな、昭和の雰囲気漂う商店街が多いのも魅力の一つ。

天気の良い休みの日などには、歴史ある寺社、神社をめぐり、近隣の店先でゆっくり寛ぐのも良いかもしれない。

 

次大夫堀公園で心くつろぐひとときを

三軒茶屋を起点とする世田谷通りを進み、 ゆったりとして落ち着いた住宅街の立ち並ぶ狛江~喜多見周辺に差し掛かると、そののどかで 緑の多い風景の一角に、江戸時代末期の建築を忠実に再現した民家園「 次大夫堀公園民家園」が見えてくる。
幕末から 明治初期にかけての、名主屋敷や消防小屋 などが 当時の状態のままで保存され、 また周辺の 堀には水流が流れ、 西洋文明が入る前の、古き良き 日本の姿を今にとどめている
入場料は無料。広大な敷地の中に、茅葺き屋根の古民家や、土蔵、火の見櫓 などが立ち並び、 園内をめぐるだけで、電気もガスもない過去の時代にタイムスリップしたような感覚を味わえる。
建物の中には自由に出入りでき、 飲食も許可されている。 広々とした古民家の囲炉裏には火が焚かれ、 その周りで食事をしていると、まるで農村の暮らしにすっかり溶け込んだかのよう。
田んぼや池などもあり、 桜や紅葉など 四季折々の風景も堪能できる。 周辺にも 緑が多く 、煩雑な都心から離れた郊外ならではの落ち着いた空間が広がる 。
園内では稲刈りなどの様々なイベントが催され、 地域住民の交流と憩いの場になっている。
普段の忙しい生活から離れ、都心近辺に点在する、こうした静かでのどかな場所を時折訪れてみるのも、 心身をリフレッシュさせるのに、必要不可欠で重要なことなのかもしれない。 また常日頃忘れている、 自分自身の ルーツを知り、ゆっくりと自省する機会にもなるのではないだろうか。

聖徳太子が境内から人々を見守る「円泉寺」

交通や文化の要衝である渋谷に近接し、おしゃれな街として人気を集める三軒茶屋

その駅前の商店街から離れた住宅地の一角に、ひっそりと埋もれるようにたたずむ「円泉寺」がある。

南北朝時代から続く由緒ある寺院で、現在残る建物も、火災ののち幕末期に建て替えられた由緒ある建造物。

門の周辺にはいちょうやケヤキの大木が枝葉を広げ、物静かで落ち着いた雰囲気を醸し出している。

また周辺の、ごくわずかに個人商店が点在するほかは、一般住宅が立ち並び人通りも少なく、日中でも急くことなくゆっくりとくつろげる空間を演出している。

門前に到着するとまず目に入るのが、門の脇にある太い古木の洞に祀られている2体の小さな石像。ここに花や賽銭を手向ける人も散見される。

そして境内に安置されているのが、弘法大師の作といわれる聖徳太子像。

近年ではその実在を疑う説もあるが、飛鳥時代に、当時の先進国隋との交流で体制や文化を積極的に取り入れ、憲法十七条や冠位十二階を制定し、日本国家の礎を築くのに多大な貢献を果たしたとされ、現在までその名が伝えられる偉人である聖徳太子は、静かな境内の中から、ふっくらと豊かな頬をたたえた穏やかな表情で、日々の住民の生活を見守り続ける。

恒例の節分会や、また年末には除夜の鐘も鳴らされ、歴史を持ちながら市民の生活に溶け込む円泉寺。日常の合間、散策がてらに訪れ、聖徳太子とつかの間のひとときを過ごすのも良いかもしれない。

心落ち着く独特の街下北沢

若者のサブカルチャーを代表する街下北沢。ポップカルチャーの発信地渋谷に近接していながら、小ぢんまりとしたエリアの下北沢は、雑貨店や古着屋、居酒屋などが雑多に集い、どこか懐かしさを匂わせる裏通り的な雰囲気の漂う街である。

またライブハウスや小劇場なども多く存在し、活気にあふれていながらどこかアンダーグラウンド的で、日常とは別次元の空間を彷彿とさせる。

古着屋にはおもに50~70年代の服や雑貨が所狭しと並べられ、店内を見ていくうちに、まるで過去にタイムスリップしたかのような感覚を覚え、時のたつのをを忘れてしまう人も多いだろう。

劇・小劇場や本多劇場は、多くの著名な俳優を生み出した劇場としても有名。現在でも個性豊かな劇団員たちが、最先端の流行とは距離を置いた風情の下北沢の街に溶け込み、まざまな公演を通じて精力的に自己表現を展開している。

なかでもキャパシティが大きく、通常の公演以外に展示会や格闘技の興行など、さまざまなイベントに利用される多目的ホール北沢タウンホールは、多くの近隣住民の交流の場、憩いの場ともなっている。

北沢タウンホールの向かいには、アパートの2階を改装した桟敷席のある劇場、ザ・スズナリがあり、その1階には、これまた昭和時代の提灯が並ぶ飲み屋街を思わせる居酒屋の立ち並ぶスズナリ横丁がある。

日常の合間に、下北の街を散策し、個性あふれるさまざまな店舗や劇場で、常と異なる異空間に触れ、心をリフレッシュするのも、めまぐるしい生活の中で一服の清涼剤となるのではないだろうか。

幕末の烈士を祀る古跡「松蔭神社」

閑静な世田谷の雰囲気に馴染み、住宅街を縫うように走る東急世田谷線

始発駅の三軒茶屋から3つ目の駅「松陰神社前」を下車し徒歩3分、国士舘大学の学生で若々しい賑わいを見せる街の一角に、幕末の思想家、教育者である吉田松陰を祀る「松蔭神社」がある。

境内は木々や緑があふれ、鳥がさえずり、近くに古くからある商店街と相俟って、程よく懐かしく、すがすがしい気分にさせてくれる。

神社には吉田松陰のほか、彼の門下生で、のちに近代国家の礎を築いた明治政府の元勲、伊藤博文山県有朋らが祭神として祀られ、松蔭はじめ多くの幕末の志士の墓が立ち並び、今の日本の土台を築いた先人の遺徳を偲ばせる。

また、長州藩士だった吉田松陰の地元、現在の山口県萩市にも松蔭神社があり、私塾「松下村塾」が現存しているが、世田谷の松蔭神社にはその精巧なレプリカがあり、まるで江戸の街へタイムスリップしたかのような雰囲気が味わえる。

激動の幕末の時代に、新しい日本のあるべき姿を懸命に模索し続けた先人の魂に触れることで、何とも厳粛な思いに胸打たれることだろう。

神社に寄進された燈篭には、乃木希典桂太郎井上馨青木周蔵など、明治の元老の名前が刻まれている。

また近隣の豪徳寺に、安政の大獄を実行した井伊直弼菩提寺があるのも、皮肉ではあるが歴史の面白さを感じさせるものであろうか。

日本を世界と肩を並べる国家にすべく、粉骨砕身したこうした先達の努力の上に、今の私たちの生活があることに思いを馳せながら、境内でのんびりくつろいでみるのもいいかもしれない。